2010.12.10 (Fri)
これもブルース 第8回「リアル・ジャパニーズ・ブルース・バンド!」
憂歌団

▲木村充揮 Vo. Gt.
▲内田勘太郎 Gt.

▲花岡献治 Bass
▲島田和夫 Drums
最初に聴いたのはどっちが先だったのか?
「大阪ビッグ・リバー・ブルース」がTVで流れていたのが先なのか、兄の部屋のステレオから「ベスト・オブ・憂歌団ライヴ」が聴こえてきたのが先なのか・・・。どっちにしても高校3年のときだったと思う。それまで「憂歌団」の名前は知ってたものの、なかなかその扉を自分では開けることができなかったのだが、そんなときにTVから流れてきたのが「大阪ビッグ・リバー・ブルース」だった。
いま思うと憂歌団の歌う「大阪ビッグ・リバー・ブルース」は、ブルースという音楽にあまり興味のない人に対して、憂歌団ならではのわかりやすさ、というか親しみやすさと言ったほうがよりピッタリくるだろうか。この曲は「Blues」というものをかなり噛み砕いて「ブルース」の扉を開けやすくしてくれたようにオレは思う。「ぅぉおおさかぁー!」という木村さんの歌い方を当時は真似したりしたものだが、自分がVo.を目指さなくて本当に良かったと思っている。
ベスト・オブ・憂歌団ライヴ-

同時期に兄の部屋から聴こえてきたこのアルバム「ベスト・オブ・憂歌団ライヴ」は、自分では何もブルースのことなどわかってはいなかったが、それでも、それまで聴いてきたバンドやシンガーとは明らかに違うものがあるのはわかっていた。当時のお気に入りはA面ラストの「ザ・エン歌」。もちろん今でも大好きな曲なんだが、いま思うとブルースなのにエン歌とは、、、。
ん?!
なんだ?この違和感は?
と同時にこの違和感のなさは?
日本人のブルースは演歌だ!なんてことは思ったこともないし、これからも思うことはないと思うけれど、憂歌団が演奏して歌うこの曲「ザ・エン歌」は、「もしかしてそうなのかなぁ、、、」と思ってしまうほどの説得力がある。それもこれも憂歌団というバンドならではの説得力だろう。
そういえば「ブルース」を「憂歌」と置き換えたのは、ギターの内田勘太郎さんらしい。その素晴らしいセンスにすべてがあるように思う。そんなこともあって、オレの中で「日本のブルースバンド=憂歌団」なのはこれからも、この先もずーっと変わらない。
関係ないんだが「憂」に「人」が寄り添うと、「優」しいって漢字になるのね。
うーん、なんかわかるような、わからんような、、、。でも「なにか」がそこにある、この感じ。
これもブルース。
-憂歌団-

1975年にリリースされた憂歌団のファーストアルバム。何がすごいって、いま聴いても演奏力、歌唱力がハンパないのが本当によくわかる!!!「嫌んなった」「シカゴ・バウンド」「ドツボ節」「おそうじオバチャン」などなど、名曲だらけの超超超名盤だ!!!
初掲載:2008.02.01.
加筆、修正:2010.12.10.

▲木村充揮 Vo. Gt.

▲内田勘太郎 Gt.

▲花岡献治 Bass

▲島田和夫 Drums
最初に聴いたのはどっちが先だったのか?
「大阪ビッグ・リバー・ブルース」がTVで流れていたのが先なのか、兄の部屋のステレオから「ベスト・オブ・憂歌団ライヴ」が聴こえてきたのが先なのか・・・。どっちにしても高校3年のときだったと思う。それまで「憂歌団」の名前は知ってたものの、なかなかその扉を自分では開けることができなかったのだが、そんなときにTVから流れてきたのが「大阪ビッグ・リバー・ブルース」だった。
いま思うと憂歌団の歌う「大阪ビッグ・リバー・ブルース」は、ブルースという音楽にあまり興味のない人に対して、憂歌団ならではのわかりやすさ、というか親しみやすさと言ったほうがよりピッタリくるだろうか。この曲は「Blues」というものをかなり噛み砕いて「ブルース」の扉を開けやすくしてくれたようにオレは思う。「ぅぉおおさかぁー!」という木村さんの歌い方を当時は真似したりしたものだが、自分がVo.を目指さなくて本当に良かったと思っている。
ベスト・オブ・憂歌団ライヴ-

同時期に兄の部屋から聴こえてきたこのアルバム「ベスト・オブ・憂歌団ライヴ」は、自分では何もブルースのことなどわかってはいなかったが、それでも、それまで聴いてきたバンドやシンガーとは明らかに違うものがあるのはわかっていた。当時のお気に入りはA面ラストの「ザ・エン歌」。もちろん今でも大好きな曲なんだが、いま思うとブルースなのにエン歌とは、、、。
ん?!
なんだ?この違和感は?
と同時にこの違和感のなさは?
日本人のブルースは演歌だ!なんてことは思ったこともないし、これからも思うことはないと思うけれど、憂歌団が演奏して歌うこの曲「ザ・エン歌」は、「もしかしてそうなのかなぁ、、、」と思ってしまうほどの説得力がある。それもこれも憂歌団というバンドならではの説得力だろう。
そういえば「ブルース」を「憂歌」と置き換えたのは、ギターの内田勘太郎さんらしい。その素晴らしいセンスにすべてがあるように思う。そんなこともあって、オレの中で「日本のブルースバンド=憂歌団」なのはこれからも、この先もずーっと変わらない。
関係ないんだが「憂」に「人」が寄り添うと、「優」しいって漢字になるのね。
うーん、なんかわかるような、わからんような、、、。でも「なにか」がそこにある、この感じ。
これもブルース。
-憂歌団-

1975年にリリースされた憂歌団のファーストアルバム。何がすごいって、いま聴いても演奏力、歌唱力がハンパないのが本当によくわかる!!!「嫌んなった」「シカゴ・バウンド」「ドツボ節」「おそうじオバチャン」などなど、名曲だらけの超超超名盤だ!!!
初掲載:2008.02.01.
加筆、修正:2010.12.10.
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